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キン太

Author:キン太
nvnstudioブログへようこそ!
代表のshinです。
ライブの応援・企画、CD/DVDの企画・制作、PAなどの音楽活動やそのついでの印刷などのデザイン、そのついでにやむを得ない宴会活動に積極的に取り組んでいます。
最近では自分もときどきですが売り出しています。
「鯛車しん」で月に一回、まき鯛車商店街で、ライブを行っています。
「キン太」としてキン太電気バンドでポップスを歌ってます。今度、ジャズストにも参加します。

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なんだか心がゆれゆれです

32~3年ぶり(くらいだったと思う)の再会だった。学校も行かずぶらぶらしていた時期に、お芝居の実行委員会の事務局を手伝ったことがあった。そのときの劇団の方だ。御年74歳。その当時、何でだったかは全く記憶にないが、その方のお宅(東京・多摩)にいって泊まらせていただいたこともあった。多摩の丘陵地は広々としていた。遠かった。奥さんはとってもきれいだった(ように思う)。いまは孫も含め3世代6人暮らしだそう... 32~3年ぶり(くらいだったと思う)の再会だった。<br />学校も行かずぶらぶらしていた時期に、お芝居の実行委員会の事務局を手伝ったことがあった。そのときの劇団の方だ。御年74歳。<br />その当時、何でだったかは全く記憶にないが、その方のお宅(東京・多摩)にいって泊まらせていただいたこともあった。多摩の丘陵地は広々としていた。遠かった。奥さんはとってもきれいだった(ように思う)。いまは孫も含め3世代6人暮らしだそうだ。<br />芝居が終わってから居酒屋で久しぶりにお話しをさせてもらった。といってもその方のお話を聞く方が主だったが。居酒屋から電話をかけて久しぶりに聞く奥さんの声は若々しく懐かしんでくれているのが伝わってきた。僕の記憶が薄いのが申し訳ない。<br /><br />その劇団にはあとふたり知り合いがいて、それはその劇団が新潟を中心に公演をおこなうために、働きかけをひろげるために派遣されてきた女性二人。覚えがハッキリしないのだが一回1週間以上の滞在が1~2回?1ヶ月の時もあったっけ?ってなことだったと思うが、狭い我が家に寝泊まりして、昼間を中心に夜もだが、話を聞いてくれるところに出かけては実行委員やチケットを広げていくようなことをしていた(のだと思う)。ひとりは僕より年上、一人は年下だった。それぞれ別の時期に、別のお芝居の公演に関わってのことだった。若いときから情熱をもって芝居にかけている姿は、僕にとってまぶしかった。その当時、僕も彼女たちも若かったので、夜中に芝居のこととか音楽のこととか話をしていたように思う。特にフラフラしていた僕はいつも刺激を受けていた。<br />特に年上の人は、僕の両親に娘のようにことのほかかわいがられ、彼女もそれをそのまま受け止めていたようだった。声が甲高く、謡なんかの発声や三味線、踊りもできて、でもおっちょこちょいで、夜中に話をし合ったこと、はげまされたこと、いまとなっては詳しくは覚えてない。新宿の街で「夜の蛾(蝶ではない)」となってアルバイトしていたところにもいったことがあった。だが、数年前に癌で亡くなった。それを思うといまでも涙がでそうになるのです。<br />年下の女性は僕の友人の妹と同級生。やりたい芝居の世界に飛び込んで、苦労しながら頑張っていて、年下なんだけどしっかりしている。彼女は今劇団の俳優として頑張っているのだそうだ。<br /><br />30数年ぶりの再会を前にそんなことを思い出していた実はそれで芝居を見に行こうか、会いに行こうか迷った。会って泣いてしまうのはいやだなと思った。<br />でも、会っても涙はでなかった。舞台の主役をつとめているときはじいちゃんの役でそれはしっかりとつとめていた。舞台をおりどうらんを落とし着替えた彼は、かなり年をとったと思わせるものがあった。演劇のせいか74歳にしては若い。しかし、僕があったのは彼が40歳に成り立てのころ。時は確実に経っている。<br />いい顔をしていた。「こうやってあえるのもこれが最期だな」と笑いながらいった。実際そうなのかも知れないと感じた。言葉がでなかった。そういうことを感じながら胸に抱えながら笑顔で旅に回っていることを思い知らされた。病気はそれなりに抱えているけど、まだまだ元気そうに見える。65歳を過ぎてロシアの演劇学校に留学してきたほど芝居が好きなのですね。<br />「自分がその役をデキルと思ってもダメなのだ。まわりから認められないと役を与えてもらえない。降ろされてしまう。誰だって舞台に立ちたい。でもいつまでも僕がでているわけにもいかない。芝居はそういうもの。役から降ろされないように病気を隠していて結局そのために亡くなった役者もいた。芝居は残酷だよね」と彼自身が語るそういう世界の中で生き抜いてきた情熱と、だからといってそれをガツガツ表に出さないあなたに頭が下がります。あなたのすごさをあらためて知らされました。<br /><br />青春の思い出と再会、芝居への情熱、生き様…まだ心がゆさぶられてゆれてゆれて揺れ続けている。心がウルウルだ~!<br /><br />ところで、我が家の名犬ロッキーはとりあえず元気です。<br />堅いえさは見向きもしませんが、柔らかくしてあげると食べてくれます。<br />家のなかでのおしっこたれ丸君は多少残っていますが、本人もデキルだけしないように心がけているようにかんじられます。<br />これから暑くなるときついと思いますが、僕はロッキー君、あなたを面倒見ますからね。<br /><br />今日は蒸し暑いです。夜には蛍がでてくれるかな?<br />
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